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    LEGEND OF YAMAGISHI

    • 2015.04.08 Wednesday
    • 14:48
    山岸さん

    今日は灌仏会。お釈迦様の誕生日です。山岸さんはきっと本当に神様になってしまって、どこかで生まれ変わっているのかもしれません。

    山岸さんは4月28日生まれ。80歳の人生を全うされました。旧店舗の住所は4-28-3。現店舗は2-4-28。「428」の因縁はファンには有名な話ですが、やはり「4」や「8」に導かれるものがあったのでしょうか。でもそれなら2024年でも2028年でもいい。傘寿は立派に長寿ですが、それでも早い気がします。


    「東池袋大勝軒」の山岸一雄さんが4月1日に逝去され、昨日のお通夜、本日の告別式に参列し、お見送りしてきました。わたしの知り合いならご存じかと思いますが、ラ部のタグ裏に刺繍されている“ラ部”の文字は、山岸さんに書いていただいたものです。その最後のお礼の意味を込めて。

    もともとは、長年、大勝軒のTシャツを担当していた久米繊維さんに2008年にお引き合わせいただきました。学生の頃から「大勝軒」に行ってはいましたが、ラーメン屋さんでも評論家さんでも常連さんでもなく、こんな、ラーメンが好きなだけの得体の知れない絵描きをすぐに受け容れてくださり、何度かご自宅にもお邪魔させていただいたのです。

    飾らないリビングで、目を合わせることも憚られるような“ラーメンの神様”が、あの人懐っこい笑顔で、朗らかにお話をしてくださいました。親子ほどの年齢差も感じさせず、まるで旧知の間柄かと錯覚するくらい自然に。お暇しようとしても、まあまあと引き止められてしまい、時にそれは四時間にも及んだものです。ラーメンや特製もりそばのこと、昔の思い出、亡き奥様のこと、ご自身の体調のこと、現在のお悩み、我が子のような飯野さんへの想いや、若き日の田代さんの夢、お客さんに愛された後藤さん兄弟など、お弟子さんたちのこと…。

    大勝軒ラ部Tシャツ「THE LEGEND OF YAMAGISHI」のデザインを持って、東池袋に通う日々の、なんと楽しかったこと。「大勝軒」の文字を入れた方がいいと勧めてくださったのも山岸さんです。その予定はなかったのですが、お断りする理由もなし。そして完成したとき、山岸さんは注文したいんだと言ってくださいました。それだけでも驚いたのですが、その数、なんと150枚。そんな人、母親以外にいません。すべて、各地のお弟子さんたちに贈られたそうです。

    そして「せっかくいいものを作ってもらったんだからね、自分でも着たいから」と頼まれ、山岸さん用・特注サイズのTシャツを制作しました。それを直接お店に持参したときのこと。早々と梅雨が明け、汗が吹き出るような七月の昼間でした。山岸さんは新店舗になってから数年間、店頭に座って、お客様のお迎えとお見送りをされていましたね。

    「いやー、どうもありがとう。暑い中、悪かったねえ」
    「いえいえ、とんでもないです」

    すると山岸さん、
    「もりチャーシューでも食べてってよ」
    と言うや、懐からお財布を出し、ご自身で千円札を券売機に投入された。

    「いや…! こちらがお買い上げいただいたんですから…」
    「いいからいいから。
     ここ座ってるのイヤになっちゃうぐらい
     暑い中来てくれたんだからさ〜」

    わたしからすれば、山岸さんはTシャツを(しかも大量に)買ってくださったわけで、完全にお客様です。また郵送で済むものを、わたしがお会いしたくて、食べたくて来たのであって、直接持ってきて欲しいと頼まれたわけでもない。それなのに山岸さんは労をねぎらってくださった。
    いくら一線を退いたといえど、山岸さんほどの人です。普通に考えれば従業員に「この人にお出しして」と言えばいいでしょう。でも山岸さんはそうしなかった。ご自身はもう店主ではない。そしてそれは相手に礼を尽くすことにも反する。だから身銭を切られた。言動ひとつひとつが、すべて「思い」を表していました。

    一介のイラストレーターが、そういう扱いを受けることは稀です。にもかかわらず、しかもあの山岸さんからそんな風に接していただいたことは、恐悦の至り。なにをラーメン一杯で…と人は笑うかもしれませんが、わたしにはとてつもなく重い。

    食べ終えてお礼を言います。
    「これからますます暑くなりますし、(店頭に座っておられるのは)大変じゃありませんか?」
    「そうだねえ。でもいないと寂しいなんて言ってくださる人もいるしね。まあそれでちょっとでも店の売上になればね。…べつに働いているわけじゃないし」
    そう言って山岸さんはまた楽しそうに笑いました。


    そんなご縁から時折、大勝軒の忘年会や出版パーティー、山岸さんのお誕生日会などにも呼んでいただきました。時には国会議員だって列席されているし、ほとんどの人がスーツ着用。けれどわたしは、無礼を承知で必ずTシャツでした。ラ部Tシャツ「THE LEGEND OF YAMAGISHI」は…簡単に使いたくない言葉ですが…山岸さんとわたしの唯一の「絆」の形なのです。コラボだなんて安っぽさではなく。自分で作っておいて変な言い方ですが、人生の勲章みたいなもの。昨日も今日もスーツの下に着ていきました。

    わたしが山岸さんの言葉を思い出すと、それはすべて謙虚そのもの。いや、自己顕示欲を控えるのが謙虚なら、元からそういうものがないかのよう。

    「うちは、あれだよ、特別なことはしてないから。でもまあ、たまたまね、うまいとか好きだって言ってくれる人がいるからやっていけるだけでね。まあ、真面目にやってればなんとかなるもんだよ(笑)」

    「いやいや、自分では創始者なんて言ってないんだけどねえ〜。あれ(特製もりそば)は元々まかないで、前からあったものだからね。たまたまお客さんに食わせてくれって言われて、メニューにしたら面白いんじゃないかって。だから、本当の創始者は、最初にまかないで始めた人とそのお客さんだね(笑)」

    山岸さんに近い方なら、度を超した研鑽や創意工夫を知らない人はいないでしょうけども、それを口にはしない。
    元祖、初、パイオニア、こだわり、No.1…そういった言葉で鎬を削らねば生き残れない飲食業界において、山岸さんご自身は手放しでした。
    「武勇伝」を自ら語ったら武勇伝でなくなってしまうように、人によって伝えられ、称えられるものだけが本物なのでしょう。


    亡くなられた当日、翌日、翌々日…と、ラーメンファンの方々は東池袋本店や各地の大勝軒に食べに行かれてましたね。わたしもすぐにと思ったのですが…足が向きませんでした。なんだかお店に行くのが怖くなってしまったんです。山岸さんのいない大勝軒。山岸さんは、とうにお店にいませんが、この世にいないというのは意味が違う。それどころか、ラーメンを食べる気をなくしてしまいました。今ラーメンを啜ってしまったら、どんな気持ちになるんだろうか。それを知るのが怖かった。

    今日はお別れしたので、明日改めて、食べに伺おうと思います(本日は池袋にある本店系は休業)。わたしは中華そばの方が断然好きなのですが、あの暑い日、山岸さんがご馳走してくれた、もりチャーシューをいただきに。そしてまたラーメンに向き合っていきます。

    お通夜の帰り、小雨降る護国寺境内で、目の前を桜の花びらがひとひら横切りました。山岸さんが、悲しくないよと勇気づけてくれた気がしました。

    安全安心安穏食堂

    • 2015.03.31 Tuesday
    • 22:17
    2012年3月9日 「安全食堂」―九大学研都市

    あまさんと合流。今日は電車移動だ。駅を降りれば晴れ渡った空が大きく開き、地均しされただけの土地が広がる。
    駐車場を前に、大きく、質素な店舗。ここが「安全食堂」。和歌山の「山為食堂」同様、TT氏(田中貴)のオススメ。奇しくも「食堂」つながりだ。雷文も龍もなく、白文字で「ラーメン」とだけ書かれた真っ赤な暖簾。

    家族経営なのだろうか、ご近所さんなのだろうか。厨房には主人と若旦那、おかみさんとご主人の妹さん、昔からの女友達であるパートさん……ただの想像だけれど、言ってみればそんな顔触れ。店員同士に親しげな雰囲気が漂う。といってだらだらと無駄話をしているそれではない。どこか「働くことが楽しそう」なのである。

    ふたりでテーブル席に腰を下ろす。もともと高菜でも入っていたかのような容器にたっぷりの紅ショウガ。ラーメンダレの他にソースもある。メニューを見ればなるほど「焼きそば」だ。食べ歩きでなければ「焼きめし700円」や「かしわめし200円」でも足したいところ。昼間しか営業していないから酒類はないようだ。

    やってくるお客さんにも、週に一度以上来ていそうな雰囲気がある。戸惑いがないということだ。さらりと入ってきて、すっと腰掛け、平然と話し、のんびりと啜る。東京の、わざわざ口でアピールするような野暮天とは違う。さて、間もなく出てきたラーメンの写真を撮っていると…

    「取材の人?」

    顔を上げると店の三角巾をしたおばちゃん。いやおばあちゃんか、の姿。
    「あっ、いえ、違いますけど…」
    「今日取材の人が来るって言ってて、まだ来てないもんだから…」
    「いえいえ、ちょっと記念に撮らせてもらっただけです」
    「そうなの〜。いいわよ、いっぱい撮って」

    そんな会話で、目に見えない調味料をかけてもらったようだ。旨味が詰まった、しつこくない豚骨スープと、そしてこの麺がまたうまい。穏やかだがバランスの妙。しょっちゅう食える。いや、食べたい。
    できることなら高校生くらいになって、
    「ちょっと『安全』行ってくる」
    「そのうちごはんよ」
    「大丈夫大丈夫、ちゃんと夕飯も食うからさ」
    そんなやり取りで、食べたい。

    安全食堂
    ラーメン550円

    節ちゃんで朝食を。

    • 2015.03.30 Monday
    • 09:11
    2012年3月9日 「元祖赤のれん 節ちゃんラーメン」―天神南

    博多三日目の朝食。食べ歩きなのにリピートである。一昨日に夜食として食べているのだ。だが相応に酔っていたので、是非シラフで味わいたかった。夜と変わらず客で賑わう店内だが、陽の光が射し込み、店内の印象もまったく違う。席もテーブルではなくカウンター。

    とろりとしたスープと、やわらかい平打細麺の独得の一体感。麺を啜れば、スープも一緒に口の中にテュルテュルと入ってくる。どこでも感じたことのない口当たり、一体感。ああ、うまい。そうか、こういうものか。やはり飲んでいると別ものである。しかしこれは酒の後でも容易く啜り込んでしまいそうだ。

    隣のおじさんに運ばれてきた「ちゃんぽん」がやたら美味しそうに見えた。ご近所の利を、羨ましく眺めながら席を立つ。

    腹が膨らむのを考えて暖パンを着用。準備は万端だ。さあ今日も一日、豚骨を堪能しよう。

    節ちゃんラーメン
    ラーメン500円

    脂まみれ酒まみれ

    • 2015.03.29 Sunday
    • 17:34
    2012年3月8日 「八ちゃんラーメン」―薬院

    あまさんのご案内でこちらへ。カウンターのみの狭い店だ。外にも客が並んで待っている。七軒目、さすがに腹は妊娠七ヶ月くらい。看板にひっそりとタコの絵があるのを見ると、八ちゃんとは八本足のタコなのだろうか。名前が先か、理由が先か。

    十分ほどで入店となり、店の奥へ。そこから覗く厨房に羽釜があったような記憶があるが、D君も「奥でスコップを掻き回す所作」と書いているからそうだったのだろう。

    焼き餃子は十個乗っているが、我が目を疑うほどの極小サイズ。全部集めてぎゅっと握ればちょっと大きめの餃子ひとつ分くらいにしかならないんじゃないか。米に般若心経を書くがごとき、包み・焼く技術をほめるべきか。しかしこれがウマい。表面積の少なさゆえ、相対的に香ばしさが増す…ということでいいのだろう。カリっと齧れば風味が立って、豆板醤をつけても当然マッチする。

    高いおでんをつまみながら、日本酒も煽る。日付が変わってから、あまさんがラーメンをオーダー。三人で食すことに。
    博多でもダントツの脂っこさと聞いてはいたが、その脂さえ覆い隠すように泡立った水面。初めから振られた白胡椒がじわじわと埋もれていく。濃度はほどほどにせよ、脂ギトギトのストロングスタイル。元祖とか平均とか成分とか抜きにして、That's豚骨ラーメンといった趣き。最後にとどめを刺された。二日間に渡って繰り広げられた三人での豚骨沐浴はこれにて終了。

    ラーメンもつまみもやたら値段が高く感じたんだが、東京ならごく普通か。感覚も麻痺する酔っ払い具合だ。ここにはいつかまた来て、ガッツリ飲み、しっかり食べたいと思う。その時もこの三人なら言うことなし。

    八ちゃん
    ラーメン 700円、他

    再会に泣かす

    • 2015.03.26 Thursday
    • 01:22
    2012年3月8日 「ラーメン 海鳴 中洲店」―中洲川端

    海鳴り(うみなり)、で「うなり」。わたしがロゴを作ったラーメン店としては最南端である。店主の大久保さんは「凪」にいたことがあって、そのご縁。どうしても寄りたくて、あまさん・D君をお誘いした。

    大久保さんは東京で様々なタイプのラーメンを楽しみ、それを地元博多の人々にも伝えたいと、「海鳴」をオープンさせ、すでに二店舗(2015年現在は三店舗)。大久保さんに連絡をとると今夜は中洲店にいるというので、そちらへ向かう。

    立体文字の看板は凛々しく、夜の川沿いに浮かんでいた。中へ入れば懐かしい大久保さんの顔。思わず握手。壁には懐かしい凪Tシャツも掛かっている。

    まずは乾杯。大久保さんとの再会も祝して。首都圏で「ラーメン居酒屋」だの「ラーメンダイニング」だのというネーミングが跋扈し、新しい業態だともて囃された頃があったが、何のことはない。博多では昔からそういう感覚なのだと、さすがに肌で感じてくる。東京にしても「御天」などは以前からそうだったわけで。

    そろそろラーメンとなって、あまさんは「とんこつ」、わたしは「魚介とんこつ」をオーダー。D君はそれぞれをつまみつつ。ふたりが既に書いているように、青葱がほとんどの博多において、白葱を、それも斜め切りでというのは新鮮。ちゃんと豚感が出ているスープの中で、風味や歯応えも活きてる。「青葉」もしくは「渡なべ」のような魚介豚骨じゃなく、豚の魅力が主体でオリジナル感がある。

    そのドンブリもロゴ入り。“魚”をイメージする「海」が店名にあるため、イラストレーションで“豚”を補う。その豚君にはサーフィンをさせ、「魚介豚骨」を体現させた(そのあたりの詳しい話は4月から始めるブログで)。

    なにしろ博多は豚骨王国である。だから大久保さんは魚介豚骨一本で勝負するような無謀な賭けはせず、きちんと基本の豚骨ラーメンを用意。そこで認められてからの提案、ということになるわけだ。数年後「福岡の魚介豚骨三銃士」などと本に書かれるようになるのだが、それもこうした堅実さが実った証なのだろう。

    清川の本店とここ中州店とでは微妙に味を変えているとのこと。中州はタケちゃんマンの歌にも出てくるほどの夜の街だ。飲んで立ち寄る酔客も多い。客層が異なるのだ。そういうところも手落ちがない。しっかりした若者である。

    さて、少々時間を戻すが、D君は店に入ってからずっと時計とにらめっこしていた。仕事のため、今夜の新幹線で鹿児島へ発つ予定なのだ。
    「あと四十分す」
    「あと二十分しかないす」
    「そろそろやばいす」
    あまさんとわたしは行きがかり上、引き止めてみる。
    「いいじゃん別に、明日の朝行けば」
    果てしなく無責任な誘い。中学生のような、でも大人のいやらしい誘い。
    「そうしたいのはマウンテンマウンテンですが…」
    と苦悶するD君の腹の中を見透かして、つけ込んでみる。哀れD君、まんまと我々の手に落ち、明日一番でということになるのだった。さあ、シメのシメだよ。

    海鳴
    魚介とんこつラーメン 700円、他

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